2006年04月04日

算数と日本語能力(9) カゲの壁

影問題といわれる種類の問題があります.その名の通り,立っているもの(木,人など)とその影の長さの関係を題材にしたものです.
一般的には相似の利用という分類になっており,三角形の相似を学習した後に扱います.しかし,実際には比例の概念が理解できていれば十分解けます.

例えば,基本レベルではこんな問題があります.

あるとき,まっすぐ立てられた1mの棒の影が1.25mになっていました.同じ時刻に,高さ6mの木の影がへいの上に40cmかかっていました.木とへいの間の距離は何mですか.

影問題.gif解答:
右のような図をかきます.黄緑の太線が木の影です.
赤線の長さは,6-0.4=5.6m
木1mあたり影1.25mだから,
赤線:青線=1m:1.25m=5.6m:X
X=7m

図をかいたらあとは比例式にあてはめてどんどん長さを出すだけです.
人が歩けば影の先端も移動するというタイプの応用問題もありますが,それでも問題のパターンは限られます.解き方の選択肢も他の種類の問題に比べて少ないです.取り組みやすい,もっと言ってしまえば簡単なところです.

…と思っていました.ついこの間まで.
しかし,春期講習で担当した生徒たちが口々に影問題は難しく苦手だと言うのです.状況がよくわからないまま問題を解説しながら生徒たちの反応を見ているうちに,原因がわかりました.

この生徒たち,相似を使えますから上の問題なら図が与えられれば簡単に解けます.しかし,肝心の図が正しくかけません.図になぜかへいが存在しないというケースはそれはそれでアレなのですが(汗),6mが青線の長さになってしまっているというのがいちばんよくあった間違いです.あのー,その青線を求めるのが問題なんですけど.

要は,図をかくにあたって「高さ6mの木の影がへいの上に40cmかかっていました」の6mが木の高さなのか木の影の長さなのかの判断が最大の壁になっているのです.木の影の高さとは普通言わないですが,そこまで気が回らないのでしょう.

影問題はそもそも仕掛けが単純なので,問題文も単純になることが多いです.しかし,単純だからわかりやすいということは大人の感覚です.日本語をきちんと精読する力のない子どもの間では,問題文が単純すぎて誤解しやすいという逆転現象が起きやすいのです.

図をかいてみて既に青線の長さがわかっているのはおかしいよね,何か変だと思ったらもう一度気をつけて問題文を読んでみようね,と生徒たちに言いつつ,自分では一見簡単な単元でも教えるのにあたっては軽く見てはいけないということを考え直した一日でした.
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2006年03月24日

算数と日本語能力(8) 日本語の基礎能力を作るために留意したいこと(後編+α)

4. 書く習慣
子どもにとって,書く(≠描く)というのは特別なことです.自分の痕跡が紙面に残ってしまいますし,評価の対象にもなるからです.幼稚園児や小1くらいならそれでもいいのですが,小5や小6になってもまだ,書くこと・書いたものを残すことに抵抗感があると日々の学習に影響が出てきます.わかりやすいのは,選択式の問題は全て答えるのに記述式の問題は全て空欄にするケース.選択式なら自信がなくても答えるのに,記述式では自信がない=書けないということになってしまうのです.日本語からは少し外れますが,算数でいうと,ノートに筆算を残すことに耐えられない・自信がない式はそれで正しいか先生にいちいち確かめてから書こうとする・間違えた問題はすべて消して正答に直すと言ったこと.膨大な無駄です.

予防策としては,低学年のうちに書く習慣をつけておくことしかないでしょう.私が小学校の頃には宿題で日記を書く,自由テーマで作文を書いてくるなどということは普通でしたが,今の公立小学校では書く機会が激減しているようです.塾や家庭学習で補うしかないということですね.

自分の言葉を書くのであれば形式は何でもいいですが,習慣付けという意味では日記がいちばん便利でしょう.もちろん書きさえすればいいというわけではなく,以下の点に留意すると効果的です.

・書いたものは子どもの目の前で読む.
・頑張って書いたこと自体をほめ,内容についてコメントを書く.
・変な日本語になっているところは自分で音読させる.子どもも書いているときはいっぱいいっぱいになっていますが,音読するとおかしいところに気づきやすいです.
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2006年03月06日

算数と日本語能力(7) 日本語の基礎能力を作るために留意したいこと(後編)

電気製品を扱うがごとくに言葉を扱う,貧困な言語世界しか持てない子どもが増えています.
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(1) 算数ができない原因が算数にあるとは限らない 
(2)(3)(4) 日本語能力が算数の出来を左右するポイント
(5)(6) 日本語の基礎能力を作るために留意したいこと
の続き
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3. 子どもの日本語観の育成
私たちの身の回りは記号操作であふれています.電気製品がいちばんわかりやすいでしょう.スイッチをON/OFFすることで明かりがついたり消えたり,ご飯が炊けたりすることを私たちは知っています.しかしなぜそうなるのかは目に付きにくいし,わからなくても何も問題ありません.大問題なのは,こういった電気製品への対し方と全く同じように日本語を扱う子どもの姿勢です.

先日,塾内テストのあと寄ってきた5年生の生徒たちとの間で以下のようなやり取りがありました.
A「先生,今日のテストの平均点何点?」
私「そんなのみんなのテストを集めてみないとわかんないよ」
A「えー何それ,先生実は知ってるんでしょ?」
私「知らないよ。平均点ってどうやって出すと思ってるの?」
A「知らないもん」
B「みんなの点数を足して割るんじゃない?」
私「そうだよ,よく知ってるね」
B「あってた,良かったー」

決して珍しいことではなく,毎年決まって繰り返される会話です.生徒Aは平均点を「とにかくクリアすべきもの」程度に考えている様子.平均(相加平均)とは何を意味し今は何を母集団としているのか,全くわからない(気にならない)まま,平均点を仮想敵にしている実態が見えます.中学受験イコール偏差値教育との批判を浴びた時代がありますが,偏差値以前に平均点ということになるとこれはまた別の,随分次元の落ちた話になってしまいます.子どもたちに正体不明の平均点を気にさせているものは何なのでしょうね?これは塾も含めて様々なところに責任がありそうです.

確かに,平均という抽象概念はその意味するところが伝えにくいという事情もあります.しかし,平均点という言葉を常用する(させる)のであれば,平均=(合計)/(個数)という公式は知らずとも,でこぼこの道に道路工事をしてならしたものという程度の感覚的な理解を持たせることは最低限必要だと思います.そうしたならば,テストの結果を集計する前にすでに平均点が決まっているはずなどという発想にもなりません.

これに限らず,一般に言葉や漢字には一つ一つ意味があるのであって,ただの記号ではありません.この一見単純なことをきちんと理解させることは,記号の色の濃い現在の私たちの生活環境においては非常に困難になっているように思えます.だからこそ,教育の場においては,電気製品と言語は次元が違うということを早いうちから伝えていくことが重要です.言葉だけでなくたった1字の漢字も豊かな意味を持っていること,そこからこの漢字はなぜこの部首になるのかを考えること,知らない熟語があってもすぐに意味を聞いたり調べたりするのではなく漢字や前後関係から類推できることといった引き出しを持たせることでだいぶ日本語の世界が広がります.また,そのような豊かな言語観は子どもの一生の財産になるはずであり,早い段階での教育のなすべきことの一つであると私は考えています.


「日本語の基礎能力を作るために留意したいこと」は3回構成とはじめに書きましたが,次回を4回目にするかもしれません.
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2006年03月05日

算数と日本語能力(6) 日本語の基礎能力を作るために留意したいこと(中編)

話し言葉の次は書き言葉についてです.
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(1) 算数ができない原因が算数にあるとは限らない 
(2)(3)(4) 日本語能力が算数の出来を左右するポイント
(5) 日本語の基礎能力を作るために留意したいこと(前編)
の続き
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2. 書き言葉の咀嚼
書き言葉は話し言葉とはまた違うものです.
話し言葉では,「てにをは」をはじめとする助詞などの付属語をある程度いい加減にしても意味は通じます.現に,アクセントを付属語に置くのは例外的なことです.また,文の主語は省かれることが多いですから,主語‐述語の関係を考えなければならないこともあまりありません.相手は主張したいことを何度も言ってくれるでしょうから,ぼんやり聞いていても要は何が言いたいのかわかるということも多いですし,わからなければすぐに聞き返すこともできます.この類のことをやりすぎると子どもの芽をつむことになってしまうことは前回述べた通りです.
これに対して書き言葉では,話し言葉の場合に相手が手助けしてくれていたことをすべて自分でやらなければならないというのが最大の違いです.

書き言葉が理解できるようになるための常套手段としてよく読書が勧められます.年齢や興味に合わせて読むものを選ぶことによって話し言葉から書き言葉へのハードルを低くすることができますから,日本語能力を伸ばすためには非常に手軽で効率のいい方法です.ただ,子どもたちを見ていると,「読書好きであること・読書量が多いこと」と「日本語能力が高いこと」は同値ではありません.会話量と日本語能力の関係と同様,読書が好きでよく読むにも関わらず,国語の問題には太刀打ちできない,書き言葉の読み方が定着していない子どもも多くいるということです.これは,普段から読んだ文章を自分で咀嚼する力と習慣がついていないからではないかと私は考えています.

例えば中学生や高校生の英文和訳で,名詞や動詞を適当につなぎ合わせて勝手に文を作り上げてしまう生徒がよくいます.一文を和訳するならまだいいのですが,長文問題になると自分の都合のいいように全体の粗筋を創作してしまっていることもあります.
それと似たようなもので,日本語の文章でも話し言葉の場合と同様に,付属語や主語‐述語の関係をきちんと把握せず,大体の筋がわかる程度になんとなく流して読む習慣がついていると,読書ならではのメリットを生かせないことになります.たくさん読めばいいというものではなく,読み方の質が重要であるということです.

黙読の場合に子どもがどんな読み方をしているのかは,当然なかなか外からはわかりづらいものです.しかし,低学年のうちは音読をさせてみるとある程度チェックすることができます.(低学年のうちというのは,学年が上がるにしたがって,だんだん他人の耳を意識して立派に読んでみせようという意識が出てくるからです.)簡単にいうなら,大人が見て不自然な読み方になっていれば要注意です.音"読"というよりは下手な機械音声になっているような状態です.もう少し具体的にいうと,身の丈にあわないむやみに速いスピードで読もうとする,段差につまづくかのように読点でいちいち突っかかる,文アクセントを妙なところに置く,行の切れ目が文節の切れ目になっている(改行の際に少し声が詰まるのは仕方ないことですので,明らかにそこで声を切って読んでいる場合)といったところです.文字を追うことが文章の内容を理解することよりも優先される習慣がいったんついてしまうとなかなか修正がきかないですから,注意深く見守っていく必要があります.

また,よく言われるようなことですが,話し言葉のような読書の仕方をさせないためには読ませっぱなしではなく「どんな話だったか,それについてどう思ったか」といったことについて話し合う機会が持てるとよいでしょう.いつもいつもそんなことをする必要はありませんが,文章に対するアプローチの向上,意識づけの一環としては有効です.
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2006年03月03日

算数と日本語能力(5) 日本語の基礎能力を作るために留意したいこと(前編)

何気ない会話が大事です.幼い子どもはスポンジみたいなもので,何からでも吸収しますから.
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(1) 算数ができない原因が算数にあるとは限らない
(2) 日本語能力が算数の出来を左右するポイント ミクロ編(前編)
(3) 日本語能力が算数の出来を左右するポイント ミクロ編(後編)
(4) 日本語能力が算数の出来を左右するポイント マクロ編
の続き
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前回までで,算数以前に問題文をきちんと読むということが算数の出来を左右している具体例を挙げました.勉強量は比較的多いはずの中学受験生の中にもかなり貧弱な日本語能力しか備えていない子どもの存在が珍しくないことがお分かりいただけたかと思います.母国語は一生を左右するほどの大きな財産であって大事に大事に育てる必要があるはずだと私は考えているのですが,そこまで重要視された教育が行われていないのが現状です.今回からまた3回に分けて,日本語で苦労しないためにはどんなことに留意していくとよいかについてまとめていきます.

母国語(この場合は日本語)を身につける上では,どうしても年齢的な制約があります.ある程度日常会話ができるようになると,普通誰でも「自分は日本語ができる」と思いますし,そう思うようになったら日本語自体には大して注意を払わなくなるからです.したがって,「言葉や文章って難しい,日本語の使い方を知りたい,わかるとうれしい」という意識を子どもがもっている小学校低学年までにある程度の能力を完成させ,さらに子ども自身が自己運動していけるように言葉を大切に扱う感覚を植えつけることが必要です.このあたりは中学受験をするかどうかはあまり関係のないことのように思います.

1. 日常会話の質と量
私は,初めて担当する生徒がいるときには,授業前などに少し家や学校の話をする中でなんとなくポテンシャルをはかるということをします.このとき,主に話をしているときの視線や手の動き,こちらの言葉に対する反応の良し悪し,聞かれたことに対して適切な内容の返答をしているか,語彙力などを見ています.もちろん子どもの場合,性格やその時の気分が随分態度に出ますから大雑把な目安にしかなりません.それでも,子どもの賢さと話し方の相関関係はかなり強いものがあります.

実際,小5・6になると日本語能力の高い子どもは大抵よく話します.こちらの返答が相槌程度でも,たまに少し黙っててと言いたくなるくらい話します.しかしその逆‐よく話す子は日本語能力が高いかというと全くそんなことはありません.話し方の上手下手があるんですね.日本語能力の高い子の場合は相手にわかるように自己完結した説明の仕方をするということはもちろん,特に考えなくてもストーリーになっています.逆に日本語能力の低い子はよく話すといっても鸚鵡返しの質問が多かったり,語彙が非常に少なく単調であったりします.

話し言葉の個人差は,小学校に入る前後の段階でも既に出てきています.私が週1回,新小1と新小2(塾では2月が新学期なので実質は年長と小1)の授業を担当していてよく感じることです.子どもたちと話をしていると,こちらが何か聞いたときにきちんと文章で答えられる子と「あれがね....」「それがこっちで....」などと指示語が多い子の違いは歴然としています.子どもの話し言葉で文が完結しなかったり指示語が多くなったりするのは,普段からそのレベルで会話が成立してしまっているからでしょう.つまり,語彙の少ない子どもが(当然ながら)思うことをうまく伝えられない場合に,周囲の大人が子どもの意図を汲み取って「〜ということね?」と先回りしてしまうということです.これをやりすぎると子どもは自然に周囲の理解力への依存から抜け出せなくなってしまいます.子どもが相手にわかるような説明の仕方を学んでいけるように,少し突き放してみる,苦労してでも自分の力で伝える方向へ誘導することも必要です.あまりしつこくすると子どもも嫌気がさすでしょうから加減が必要ですが,せっかく伸びてきた芽をつむようなことを大人がしていないか注意しなければなりません.逆の言い方をすれば,周りの働きかけ方如何でどうとでもなることだということでもあります.


次回は中編,話し言葉に続いて書き言葉についてです.
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2006年02月19日

算数と日本語能力(4) 日本語能力が算数の出来を左右するポイント マクロ編

問題の「木」がある程度見えている子どもの場合は,「森」が見えているかをチェック!

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(1) 算数ができない原因が算数にあるとは限らない
(2) 日本語能力が算数の出来を左右するポイント ミクロ編(前編)
(3) 日本語能力が算数の出来を左右するポイント ミクロ編(後編)
の続き
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国語では,中学入試に出るような文章をいろいろなジャンルに分けて学習していきます.物語文,説明文,論説文,随筆文といったものです.算数の問題のジャンル分けは普通分野・単元ですが,問題'文'はそれとは別に国語と同じようなジャンルに分けられます.今回は大きく分けて3つの類型を例題とともに挙げていきます.例題は冒頭が木だけに植木算にします.

【1. 単項説明型】
「ある池のまわりに10mおきに木を植えていくと,木は全部で64本必要です.この池のまわりに8mおきに木を植えるには何本の木が必要ですか.」
(10*64=640m,640/8=80本)

この問題文は池が主人公,木は脇役です.池について語り,池について問う問題です.

このタイプが子どもにとって最も考えやすいものです.ターゲットが1つしかなく着眼点が明確ですから.多くの単元の最も基本的な問題はこのタイプになっています.

【2. 二項対立型】
「ある池のまわりに10mおきに木を植えると,8mおきに木を植える場合より木が16本少なくてすみます.この池の周囲は何mですか.」
(木の数の比は8:10=4:5,16/(5-4)*4=64本,10*64=640m)

10mおきのときと8mおきのときという2つの場合が並立しています.これらを比較すると木を植える間隔が異なるという条件の差異があり,それがまわりまわって木の数の差異という形で発現しているという構図です.

このタイプになると,基本的な問題でもつまづく子どもが出てきます.2通りの場合が並立しているという状況を認識できていない場合もあります.そこまでひどくはなくても,上記の構図をしっかり把握することが大事です.そこをクリアできれば,条件の差異を観察することが問題を解く糸口になることはほぼ間違いないといっていいでしょう.並立しているものは比較しなければ利用のしようがありません.

1.で「多くの単元の」といいましたが,差集め算はその例外のうちの1つです.2つの場合がないと差がとれませんから当然ですね.

【3. 前後関係型】
「周囲が640mの池のまわりに10mおきに木を植えました.その後,木と木の間に2mおきにくいを打ちました.くいは何本必要ですか.」
(前:640/10=64本 後:640/2=320本 320-64=256本)

'木のみ(10mおき)'植わっていたところに'くいが加わる'という変化が起き,その結果'木&くい(2mおき)'になるという状況です.この問題では変化分を聞いていますが,もちろん変化が分かっていて前・後の状態について聞くこともあります.

因果関係に限らず,2つの場合が並立しているわけではなく,片方がもう片方に依存しているもの全般を含みます.子どもはわかりやすい原因と結果の二者に気をとられがちですが,その間にどんな変化が潜んでいるのかに注目することが問題解決への第一歩です.

以上の3種類でほとんどの問題は説明できるのではないかと私は考えています.
もちろん,全部の問題がこの問題はどれと特定できるわけではありません.問題の解釈や解き方によってもかわります.例えば,つるかめ算は面積図で解くなら単項説明型,面積図を使わず「もし全部つるだったら〜」と考えて解くなら前後関係型といえるでしょう.そういう意味では,手法といえるほどのものでもないかもしれません.こんなことをいくら気にしても,典型問題といわれるレベルの問題では一通り安心してみていられるくらいの地力がなければ効果は大してないと思います.

しかし,その程度の力は備えている,「よく頑張っていて実際できるんだけどまだ何かちょっと」な子どもには,こんな感じに('感じ'程度に)俯瞰的に問題を眺めるという視点をもつことはいい武器になると思います.難関校では算数でも長文の「要は何をやっているのか」が把握しづらい問題が増えてきていますから.


続きは甲陽の解答・解説の後で….
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2006年02月15日

算数と日本語能力(3) 日本語能力が算数の出来を左右するポイント ミクロ編(後編)

(1) 算数ができない原因が算数にあるとは限らない
(2) 日本語能力が算数の出来を左右するポイント ミクロ編(前編) の続き

3.と4.では前回2.で述べたことをベースに,それぞれの特性を上乗せしていく形になります.

3. 消えた引数(順序関係;形容詞など)
「大きい」「軽い」などは複数の対象の相対的な関係性を表す言葉です.「キリンの首は長い」というように一つのものの絶対的な性質を表すような使い方もしますが,暗にキリンと他の動物諸々を体長に対する首の割合において比較していると解釈できます.したがって,名詞や他動詞の場合と同様に複数の引数を取らなければいけません.そして,子どもたちの日本語ではその対象が欠落してしまいやすいことは前項で述べたとおりです.

それに加えて,順序関係では不等号をどちらに向けるかを考慮しなければいけません.食塩水を混ぜるのならAにBを入れてもBにAを入れても算数としては大した問題ではありませんが,AがBより長い(A>B)のとBがAより長い(B>A)のとでは意味が全く逆になります.この不等号の向きを瞬時に判断するためには,「A"は"B"より"長い」というように助詞をきちんと読み取る必要があります.別の言い方をすれば,「Aは−長い」という主語−述語関係を把握するということです.身についている人にとっては意識にも上らない程度のことでしかないのですが,このテーマの初回で挙げた例のように,ここもまた1つのつまづきポイントになりえています.

4. 同一性表現
「等しい」「同じ」は順序関係の仲間ではあります.ただ,不等号ではなく等号ですから向きを考える必要がない(A=BとB=Aは同値)という点で特殊です.これだけなら3.よりも少し楽なのですが….何かが等しいというときには,「複数の対象がある点において等しい」のです.この言葉自体には同一性以上のものは含まれていないので,引数としては複数の対象とともにそれらを比較する観点が必要です.

また,それ以上の特徴として,同一性のあるものは代入ができるということがあります.A=Bであって「Aは〜」などという文があれば,「Bは〜」と置き換えることができるということです.指示語でも同じようなことをしますね.国語の指示語の単元では指示語の内容を指示語に代入すると意味が通じるはずだと教え,実際に置き換えて読ませたりします.算数ではその置き換えが,特に1行問題レベルでは重要なツールなんですが,実際にはそういう選択肢がなかなか使えない子どもが多いです.


2回にわたったミクロ編では暗めの話題ばかりでした.次回のマクロ編ではもっと明るく,ある程度算数のできる子どもでも算数以外の部分にもっとできるようになる余地があるという話をします.

→(4) 日本語能力が算数の出来を左右するポイント マクロ編
posted by カイト at 23:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 算数と日本語能力 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月14日

算数と日本語能力(2) 日本語能力が算数の出来を左右するポイント ミクロ編(前編)

(1) 算数ができない原因が算数にあるとは限らない の続き

子どもが算数の問題文を読みとる段階でつまづきやすいポイントには大した個人差はなく,ある程度固定しています.今回はその中でも指示語など単語レベルのミクロなものについて取りあげます.

1. 指示語
前回軽く触れましたが,子どもは指示語の内容を把握するのが苦手です.これは単に自分で指示語を使うことに慣れていないことが大きいと私は考えています.

大人の間では,1つの文があまり長くなりすぎるとだらだら文などと呼ばれますね.短文を接続詞でつないでいくほうが読みやすく好ましいとされます.同じ理由で,私たちが算数の問題を作るときも,よかれと思って1つの文をあまり長くしないようにいくつかに分割します.

ところが,子どもにとっても非だらだら文の方が理解しやすいというわけでは必ずしもないようなのです.算数や国語の記述答案などを見ていると,国語の成績がよい子どもでも「〜なので,〜なので,〜」とだらだら文になりがちです.だらだら文では,指示語をこまめに入れなくても何となく意味は通じますから,その曖昧さが子どもには都合がいいのでしょう.こうして,普段から書き言葉で指示語を用いる機会が少なくなっているように見えます.もちろん学習上でそんな惰性的な好みに付き合うわけにはいきません.経験量を増やして慣れてもらうしかないのですが,なかなかその慣れたというレベルまでたどり着けない子どもも多いのです.

2.消えた引数(名詞・動詞)
エクセル関数を使って計算をするとき,例えば=SUM(K2;K4)のK2;K4のように,計算の対象として適切な引数を取らなければ構文エラーが出て計算できません.この構文エラーが子どもの日本語には大量に出てきます.

合計,合わせる,分けるといった低学年のうちから算数でよく出てくる言葉については,大抵の子どもはこの言葉が出てきたら足し算や割り算をするんだという条件付けがされていきます.ただそれはあくまでも条件付けであって,肝心の何と何を合わせるのか,何を何で割るのかといったことを考える(読み取る)習慣がついてこなければ,いずれツケは回ってきます.高学年になって問題文が複雑になり現れる数が増えてくるとだんだん明暗が分かれます.はては重さと長さを合計?するようになってしまったりすることもあります.

算数用語での混乱誘発度NO.1は,私の知る限り「平均」です.教える側からすると,平均は一見とても簡単な単元に見えます.公式は「平均×個数=合計」だけです.公式というほどでもない,当たり前のことだと思う子どもも多いでしょう.基本的な考え方は平均と合計を行ったり来たりするというだけです.ですが,実際にはその単純さが仇になっているのかもしれません.問題文にいくつも平均という言葉が出てくると,「何の」平均なのかを考えない子どもは即アウトです.何の平均が分かっていて何の平均を求めるのか,わからなくなってしまいますから.公式を使う上では「〜の平均×〜の個数=〜の合計」という形を強調してそのとき扱っている対象を明確にすることが大切です.

算数用語以外のごく一般的な言葉でも,ハードルにはなりえます.例えば,濃度算で突然主役級になる動詞「混ぜる」.普通,算数で「混ぜる」には複数のものが必要です.理科ではないので1つのものをかき混ぜても何も起きません.ところがAにBを混ぜるとき,Aの方が欠落してしまう傾向があります.Aの方は問題文の中で指示語になっていることが多いからでしょう.「Aがあります.これにBを混ぜると…」というようなパターンです.(指示語の話に戻りますが,これが「AにBを混ぜると…」なら解けたりするのです).


もっとさらっとまとめられるかと思っていたのに予想外に長くなりました.明日はミクロ編の続きです.

(3) 日本語能力が算数の出来を左右するポイント ミクロ編(後編)
posted by カイト at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 算数と日本語能力 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月10日

算数と日本語能力(1) 算数ができない原因が算数にあるとは限らない

子どもが算数の問題を解くのを見ていると,この子が算数ができないのは算数以前に日本語能力の問題ではないかと思えることがよくあります.例えば,先日は「りんごはみかんより3個多い」という表現からどちらが多いのか真剣に悩む5年生がいました.「りんごは−多い」という主述関係がつかめていないわけですね.その子は自分で立ち止まって悩んでくれる素直さがあるだけましな方です.つい先日受験を終えた6年生の中には,意味がわかったことにしてとりあえず計算を始める子どもが何人もいましたから.当然,こちらからみると思いつきで足したり割ったりしているようにしか見えない珍妙な式になってしまいます.

私はそんなレベルの生徒に問題の解説をするとき,「(問題文中の)『これ』って何のこと?」とよく聞きます。登場人物が複数いる場合は「〜したのは誰?」などとも。ここだけ取り出すと完全に国語の文法ですが,もちろん算数の授業です.きちんと答えられないだろうなという予想を裏切られたことはまずありません.とても自慢できることではありませんが,極端な場合には授業時間の半分程もこのようなやりとりに費やしたこともあります.おそらく算数ではどうしても数名詞に気をとられるのでしょう,そうでもして注意を喚起しないとなかなかそれ以外の部分には目が向かないようです.数名詞だけをいくら眺めてもそれだけで解き方がわかるわけがないんですけどね.この端からみたら変な問答には短期的な効果はとても期待できませんが,中には毎回しつこくつっこんでいるうちにいつの間にか自分から先回りしてそういったことを考えるようになり,力をつけた子もいます.ごく少数ではありますが.

これぐらいの質問には十分答えられる生徒にも,何を求めるのか,問題文中の数が何を表しているのか自分でまとめて言わせてみることがあります.難関校狙いの子でも,わからない教えてと問題を持ってきてこれに満足に答えられないことはよくあります.しかし逆に,そこを明らかにするのを少し手伝っただけでわかったーと言ってあとは自己解決してくれることも多いのです.

まがりなりにも1000字を超える国語の素材文を読んでいる子どもがなぜ2,3行の算数の問題の理解でつまづくのか,算数を教え始めた頃の私は不思議で仕方ありませんでした.しかし普段からこんな視点で(特に下位の)子どもを見ている今では,ほんの数行の問題文の中にいかに大人の気づきにくいハードルが多いかが見えてきた気がしています.問題文の意味が把握しきれないというのは自分自身が受験生だったとき実際に直面した問題でもあるので心情的には理解できないこともないのですが…それにしても,ちょっとわからないにも程があると思いませんか?

何回かに分けて,子どもの日本語能力不足が算数ができない原因になっている場合について考えていきたいと思います.次回は具体的に子どもがつまづくポイントをいくつか挙げていきます.

(2) 日本語能力が算数の出来を左右するポイント ミクロ編(前編) 
posted by カイト at 22:14| Comment(2) | TrackBack(0) | 算数と日本語能力 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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