対話は大事です.
平和のためにも大事ですが,学習においても大事だというのは歴史が証明しています.プラトンの対話篇,あれは対話という形でしか書けなかったものだと思いますね.これを踏襲してということなのかはわかりませんが,学習参考書にも対話形式をとっているものが少なからず存在します.学習漫画の類はその典型的なものでしょう.漫画以外では,例えば親と子の算数アドベンチャーといったものがあります.
中学入試問題でも,対話形式をとっている学校があります.代表的なのは普連土学園.毎年長い対話文の誘導に従って解き進める問題が出題されます.算数でも読解力を見るという意図だと私は解釈しています.参考までに,普連土学園公式サイトで過去の入試問題を公開しています(TOP→入試情報→入試問題).
さて,私自身はというと,子どもの頃は少し天邪鬼で学習漫画に興味を示しませんでした.しかしそれ以上に,対話形式の参考書ははっきり嫌っていました.普通に書いてくれれば読んで理解するんだからわざわざ噛み砕いてくれなくていい,対話形式にされると参考書に主導権を握られて自分の思考のペースが乱れるというのが当時の主張でした.これは自宅学習で他者(塾の先生や親)に勉強を教わることが極端に少なかった故かもしれません.
しかしそんな私も,対話の威力に結局背を向け続けることはできませんでした.中学受験生だった頃から今に至るまで,私は考え事をするときに他人に説明するように言葉をつなぐ習慣があります.自問自答,一人二役といった感じで急に架空の話相手に成り代わって質問,反論することも.もしそれを口述筆記することができれば,きっと誰も読みきれない分量のブログになります.声に出すと思考スピードがガクっと落ちてしまうので無理な話ですが.
なぜ私が考えるときに仮想の相手を必要とするのか,それは他者の存在を意識することが私に言語を使ってきちんと筋道立てて考えることを促すからです.言語を伴わない思考だからこそできることがあるのと同じように,言語を伴った思考でなければできないことがあります.しかし人間は放っておけば楽なほうに流れますから,本来言葉を使わなければきちんと考えられない場面でも半分ぼーっとして考えたつもりになりがちです.…私だけではないですよね?
言語によるアウトプットをしないぼーっとした思考の引きこもりは,水面下に「わかったつもりのこと」というヘドロのためこみにつながります.そして思考の澱みに.ヘドロも積もれば山となるかもしれませんが,何も形には残りはしません.
塾の子どもたちを見ていると,このことを自然に学び取っている子もいますがそうでない子もたくさんいます.いつまでもテレビをぼーっと見ているのと同じ頭の使い方で文章題を読んでいる子どもたちです.よく,大人から見ると全然考えていないのに子どもが考えているがわからないと言い張って親子バトルになる類の話を耳にしますが,子どもからしたら確かに本気で考えているのかもしれませんね.勉強での頭の使い方を知らないだけで.
そんな子どもたち.そのまま小5,6になってしまうともう習慣的,能力的,時間的になかなか矯正しがたくなります.諦めているわけではありませんが,現実的には厳しいです.
しかし低学年ならまだ何とかできます.そこで,私は低学年の生徒に文章題を解かせるときには,まず国語のように音読をさせています.文字を追うだけで精一杯になっているようなら,二度三度と音読させます.それから,「どんなお話かわかった?」と念を押してからテキストを閉じさせ,どんなお話だったかを話してもらいます.足りない部分は私が質問して補い,それから式と答えを考えさせます.言葉は稚拙でもいいからテキストの棒読みではなく自分の言葉に直す経験を積んでもらうことが目的なので,そんなことしなくてもわかるという子どもにも一律にやらせます.問題文をきちんと読まない子どもは今は手がかからなくてもすぐに頭打ちになるものです.
少し前の新聞の連載にこれに似たことを大学でやっているというのがありました.
asahi.com【斉藤孝教授のキャンパスブログ】単独者として より引用
「再生方式」と呼んでいる講義パターンもあります。ふたり一組(できれば男女)を作らせ、私が30分間講義する。その後、それを3分間にまとめて、自分のパートナーにそらで話す。パートナーは相手が抜け落ちた部分を指摘する、といったゲーム形式です。
まずコーチがやってみせ、次に選手がやる。スポーツの世界では当たり前の練習法です。再生方式はそれを勉強に取り入れたものです。
スポーツからの取り入れというのはいいですね.算数の学習法を囲碁から学ぶのに通じるものがあります.再生方式の「再生」はCDやDVDなどのように形の定まったものを復唱するという意味ではなく,資源の再生のように一度溶かしてよりわかりやすい形に再構成するという意味で解釈するとしっくりきます.
ついでに上の引用記事の次の回無理やり読書からも引用.
大学の授業がトレーニングセンター化していくことが大事になる、これは事実。その一方で、タフネスだけは授業では決して教えられない。彼らの自主性に懸けるしかありません。
中学受験塾もトレーニングセンターです.タフであれと煽りはしても,それが限界です.
それにしても…
低学年のうちは国語と算数は一体でもいい気がしています.算数は数とそれにまつわる論理の科目だからです.現実には数だけをもてあそんでいる受験生もいますが.問題文の量を10倍くらいに膨らませた文章題とか,パズルのルールの説明文を箇条書きではなくストーリー仕立ての文章にして読ませた上で解かせるとか.そんな教材,どこかにないかなぁ.なければ私が作ればいいだけの話か.





院生時代も、テキストを自分の側にひきつけっ放しの解釈ばかり行っていた自分を思い出します。
算国の融合教材、、期待しています☆
それより少ない数字の個数配置したら「たぶん」解は一意に定まらないですよ!
詳しい話は知りませんが・・・。
☆
>mukさん
今のところ,初期配置が対称形なら18個,非対称形なら17個とWikipediaの数独の項にありますね.証明はされていないようなので更新される可能性はありますね.
>夢さん
いるにはいますが,困るというほど困ってはいません.なぜそういうことを言うようになるのか細かい原因は様々ですし,クラス授業の範疇で無理なく打てる対策を打つしかないのでは.
低学年だからひねくれものでいうことを聞かないってことはほとんどないです.自然に言うことを聞くようにするのが講師の技量と認識しています.私も全然えらそうなことはいえないヘボですが.幼児教室の力のある先生の指導など見せてもらうと勉強になりますよ.
小3の算数好きの息子を持つ、なつこと申します。
2日ほど前に、偶然こちらのブログを知りました。
「自宅学習で中学受験」を読んで、感動いたしました。
息子は小学校ではどうやら「吹きこぼれ」状態らしく、中学受験を(今のところは)漠然と考えています。
一応都区内在住ですが大手進学塾は近所になく、子供にとっての負担を考えると通塾期間はなるべく短くしたいものだ、と思っておりました。
そんな私にとって、カイトさんのお書きになった記事は、すばらしくインパクトがありました。
>塾に通い詰めたりなんかしなくたってベストな中学受験はできると考えています.
>自学習を例外ではなく1つの立派な選択肢の地位まで押し上げたいです。
すごいです、カイトさん。
ぜひぜひ、今後もこの話題についての記事をお願い致します。
はじめまして,カイトです.
非常にモチベーションをかきたてられるコメントありがとうございます.
「自宅学習で中学受験」に関してはそろそろ再開するつもりですのでご期待ください.なつこさんのお子さんの中学受験のお役に立てたらうれしいです.
今後ともよろしくお願い致します.